峰 浜 町
 植別(ウエンベツ)
 「悪い川」の意味。この川の奥に入ると峡谷にな
り、山歩きをするのに足場の悪いところだったので
そう呼ばれたようです。
 居間布(オルマップ)
この川の近くに植別神社がありました。
この川の川口の部分が非常な低湿地か、なにかで
常に水に浸っているような川又はこの川にニレの樹
皮か何かをいつも水に浸しておいた説が考えられます
 陸志別(ルクシベツ)
道が川なりに通っている川の意味。現在川、橋に名が
つけられています。
春 日 町
 春刈古丹(シュムカルコタン)
油(魚の)を取る村の意味。春刈古丹川は、鮭、鱒の上
る川です。鮭や鱒を捕らえて油を採ったのでしょう。
明治以前は植別がこの町の中心で、魚も多く、材木も
多く産出されました。明治になって、春刈古丹が漁の
中心地となって、明治中期から後期には二階建ての
料理屋があったということです。
八 木 浜 町
 立刈臼(タッカリュウス)
樺皮をとりりつけているところの意味で、この川沿いも
樺の木が多いのです。
樺の皮をいつも取ったところなのでしょう。
皮は何に使ったのでしょうか。
屋根を葺いたのでしょうか。たいまつを作ったんでしょ
うか。、
 八木浜
アネシュマ、ヤンゲシュマ、ヤンゲハマ、八木浜と変化
したものと思われます。
シュマは石とか岩のことです。
石か岩に関係ある地名だろうと思われます。
春松中学校の建つ以前、裏の方に大きな集塊岩があ
ったそうです。
礼 文
 礼文知(レブンシラリ)
沖にある岩・海岸の水中にあって汐が引くと現れる岩
盤、、磯の意味。
 飛仁臼(トビニウス)
イタヤ、イタヤカエデがそこに群在しているところの意味
ですが、実際に多かったかどうかは不明です。川は礼
文町の平地の北より山裾を流れています。
トビニウス川の右岸に当たるこの平地に木工場や焼き
場がありました。
 立仁臼(タチニウス)
樺の木の皮をとるところ、シラカバの木が群在するところ
の意味。山間を勢い良く流れている小川です。
立仁臼も飛仁臼も古い地図には載っていません。
 ホロムイ
大湾、大きな入り江の意味です。礼文町全体が大きな
入り江です。現在使われていません。
江戸時代から明治時代の地図には、ホロムイという出
てきていますが、それ以後は見当たりません。
共 栄 町
 スネトビニウス
1本のイタヤカエデの木がある所の意味。
このイタヤカエデの木は、きっと大きくて立派な木だった
のでしょう。
現在では忘れられている地名です。
 イコスシマイ
スシは水浴びという意味を持つ語なので、海岸の波打ち
際を波浪を浴びてびしょぬれになって、通ったか、岸壁の
間の浅いところを選びながらも胸まで浸からなければ通
行できないところだったんでしょう。
 光り苔の洞穴(マツカウス)
「蕗が多いところ」の説がありますが、ここだけが特に蕗
が多いわけではありません。
アイヌ語から解釈すると、山手を-まわる-ことをいつもす
る-ところ、となり、この付近にこういう通行をしなければ
ならなかった岩か岩山が海岸にあったのでしょう。
この洞穴は昔から人に利用されたらしく、続縄文、縄文、
オホ-ツク土器の破片が採集されています。
 チトライ
我々(が) -同伴するところも意味。明治24年の説明
によると「岩の間ヲクルクル如ニテ案内ナケレバ行クコト
タカシ」とありますから、かなりの難所だったのでしょう。
海岸より少し上流の左岸に細長い滝が一本あります。
チトライ川の両岸には縦穴があったらしく遺物が採取され
ています。
岬 町
 モセカルベツ
オオバイラクサ(を) -打つ・とる・刈る-川小屋がけ、家
や囲いのために草を刈ったの意味ですが、河原は狭く、
あまり草は生えていません。石でできた沢で、良質の
砕石がとれるため、、採石場がありました。
 知円別
チェプンペッ「さかな-そこにいる・そこに入る・川」 チェ
プサクペッ 「さかな-欠く・いない-川」 魚の入らない川
は、精進川と呼ばれているようです。
 建根別
ケネペツ 「ハンノキ、川」 川の両側がなだらかで、ナラ
や白樺の巨木が生え、一見してはんのきは目立ちませ
んが、昔はたくさん生えていたのでしょうか。
北 浜 町
キキリベツ川(キキリペツ)
虫-群生する-川海岸から50mくらいのところに、10mく
らいの滝があり、そこから川が曲がって奥が良く見えま
せん。虫とは、ぬか蚊とかあぶなどをさすのでしょう。
ルサ川
道が-そこから-浜へ出て行く-所。斜里にも「ルシャ」と
いう川があるので、区別するために羅臼側の川をルサ川
と呼ぶことにしたということです。ルは道ということです。
地名につくくらいですから、山超えの道はよくつかわれた
ことでしょう。羅臼のルサ川と斜里のルシャ川を結ぶ線は、
知床半島を横断するのに最も短い距離です。
 ヲショロマウ(ヲショロコツ)
尻餅をついた跡のくぼみの意味。 注:羅臼の伝説に載
っておりますので詳しくはそちらをご覧ください。
昆 布 浜
 トッカリムイ
アザラシのいる湾の意味。むかしはトッカリが沢山来たの
でしょうか。
瀬 石
 セセキ温泉
熱い-もの。海中に温泉が噴出しており、干潮時には野天
おんせんとして利用されています。
 チャラセナイ(セセキの滝)
滝をなしてさらさらと流れる川。チャラセは「滑り落ちる」の
意味。通称セセキの滝といわれ、道路のそばに約20mぐ
らいの高さでおちています。
 チトカンベ岩
われら−射る−崖。セセキの滝のそばにある切り立った崖
です。「古くアイヌは狩りや漁や戦いに出るとき、弓占いを
行った。このような地名の所に、古く部落の祭場があった
かどうか、いつからこの地名があるのかわかりません。
崩 浜
  クズレ
昔はホロカモイウンベといっていたようですが昆布漁に出
漁していた人たちによって、石が崩れるので、いつ頃から
か「くずれ」と呼ばれるようになったということです。
 カモイウンベ
カムイで、熊をさしているでしょうか。そうするとカモイウン
ベは熊が多い川ということでしょうか。フンベとすると鯨に
なりますが・・・ホロカモイウンベとポンカモイウンベはクズレ
浜へ流れ出る小川おwさすと思いますが、どの小川の名か
はっきりしません。ホロカモイウンベ川で現在のカモイウン
ベ川を、、ポンカモイウンベ川は小さいカモイウンベ川とい
うことで、クズレハマ川のことを指すと思われます。
またポロカモイウンベは親子熊の射る皮、ポンカミイウン
ベは子熊のいる川とした説もあったようです。
 ルウェシリ
「高くて悪い台地」の意味。
羅 臼 の 地 名
幌 萌 町
 茶志別(チャシウシベツ)
幌萌町の一部。現在、川、端、沢などにその名がつけられています。
とりでのある沢の意味。
 幌 萌(ポロモイ)
大きい入り江、湾の意味。幌萌町の語源となった地名です。
戦後、漁家が4戸程定住しました。
 ケトンチビラ 
ケトンチ(革張枠)のようなビラ(崖)の意味。
ホロモイと春刈古丹の間にある崖。
麻 布 町
 於尋麻布(オタズネマップ)
川口にカンバの木があるものの意味。
ヲタッコマフ、オタッオマブ等がなまってオタズネマップとなり、その当て字の於尋麻布をとって読み替えて現在は麻布町となっています。
知 松 町
 知西別川
チフニウシヘッであれば、舟-木-群生する-川。
チフニウシヘッであれば焚木がそこに群存する川。
焚火にできる木があるということは、枯れている木が多くあるということになります。知西別川を少しさかのぼって行くと、二抱えも、三抱えもあるような大きな木の伐り株があります。
舟もつくれたし、焚き木にするための木も沢山あったのでしょう。
松 法 町
 松法川
マツノイからマツノリになったのでしょう。
川上に鳥の巣があるという説があります。
マチネには雌鳥という意味がありますが、
どうして雌鳥だけなのか疑問です。
 オタフク岩
ぷくっとふくらんでいるので「オタフク岩」と名付けられたのでしょう
アイヌ語では「ワタラ」といいます。海中の岩の意味です。
この岩の根元から西側に松法港が出来ました。この道をはさんで、後ろの丘の上に穴居跡がありました。
 ソスケ(ソシケイ)
ソシケは、剥げている、土くずれがして地肌が現れている、またそのような崖の意味。イは、時、所、音、物、事などの
意味。現在まで何度か道路が作りかえられていますが、以前この近辺は幅のせまい小石浜で、すぐに40〜50mの段丘になっていて道路はその中間の高さにつけられていたそうです。
本 町・緑 町(羅臼川右岸)
富士見町・栄町・船見町(羅臼川左岸)
 羅臼川(ラウス川)
羅臼町の中心は、羅臼川をはさむこの地域です。
役場、官公署、病院などが集まっていて、ラウスと言えばこの市街地をさすことが多いようです。
ラウスの解釈についてはいろいろあります。
ラは腸、ウシは生ずで、川の上流、源の水沼が
あり、鱒、鮭が多産して魚の腸が川一面になるのでこの名があるという説。また、ラに低い所、
地下部を食用とする草の葉、翼、粘液などの意味が考えられるとする説もあります。
町では、獣や魚の骨の沢山あるところの説を採っているようです。
海 岸 町
 ロ−ソク岩(リィシュマ)
「高い岩」の意味。立岩と呼ぶ人もいます。
チカップコイキウシのそばの海中にあります。
知床日誌に(鳥糞にて白くなりたり」とあることから、この付近は昔はもっと鳥がいたんでしょうか。
 材木岩(チカップコイキウシ)
鳥を-いじめ-つける-所。
隋道のそばの海岸にある岩肌あらわな崖。
柱状節理の断崖となってみごとです。
この崖には海鳥が多く、崖は鳥の糞で白く汚れている所があります。
なんの鳥を指すのか不明ですが、鳥をとる、つまり狩りをしていたのでしょうか。
 シュマチセ(飛仁帯洞穴?)
石の家、岩窟、岩屋の意味ですが、どこをシュマチセとよんでいるのか不明です。
チカップコイキウシハシコイの間に洞穴は見当たりません。
海上から見ると、飛仁帯洞穴がちょうど家のようにみえるそうです。飛仁帯洞穴からは、擦文
やオホ−ツク文化の遺物、人骨が出土しています。知床日誌には「此所に大石窟三ッ有」と
なっていますが、
どれをさしていっているのか、これも不明です。
 飛仁帯(トビニタイ)
イタヤの木の群生している所の意味。
昔はイタヤの木の多いところであったと想像されます。
桑の自然大木が多いところをみると気候の良いところなのでしょう。
 サシルイ川
「昆布が多い所」 「砥石-有る」 「昆布-太い-
所」などと解釈されます。
 天狗岩(オチカバケ)
オチカバケ川の川口に、浜より海に突出した岩
を天狗岩と言います。
岬の方からみると天狗に見えると言います。
オチカバケには「そこに鳥が住んでいるところ」
の意味があります。同じ地名が斜里にもありますが、同じ意味が考えられます。
ここに出てくる鳥は鷲をさしているようです。。
斜里のオチカバケにも鷲がきてとまるといいます
「大正12年頃から昭和20年代にかけては、天狗岩のてっぺんにオジロワシがよくとまっていたし、昭和の初め頃までは夏でも海岸町以北
ではオオワシをみることができた」ということです。
相 泊
 アイドマリ
アイは矢の事でしょうか。アイヌ語かどうかはっきりしません。次のような話もあります。「アイは
小回船の船頭の風向語として、ヤマセ、マクダリ、アイの風と使用していたので、和語と思う。明治時代、小回船の船頭等が北見にまわる時の船掛りとして、アイドマリを使用した。大シケ
のときは、モイレウスに入った。帆船では風を
利用しやすいため、シケが大きくない時は、アイドマリや赤岩を利用したが、赤岩は錨が引ける
ので難破するから、アイドマリまで戻ったという
話をきいている、
化 石 浜
 デバリと中番屋