民宿本間へ
 
        
本間 宏次 昭和14年熊石にて出生
        血液型 O型
漁に対して色々な思い出もある中、忘れられない出来事がある。
その一つは拿捕である。
昭和48年4月末の出来事だ。
国境が直ぐ目の前の根室海峡に有っては何時危険が我が身に降りかかるか解らない状態である。
択捉沖で拿捕  色丹島で取り調べ後樺太に送られマオカにて抑留生活4ケ月
時の田中総理の訪ソで恩赦にて帰国し現在に至る
帰国はしたものの船は没収され漁をするのに新たに船を買い二艘分の借金で首の回らない状態が
思い出の二つ目
二百カイリ制昭和49年6月世界各国が自国の二百カイリ制を打ち出した。
日本も51年12月に入り名乗りを上げて二百カイリ制を打ち出した、開けて昭和52年1月からの漁は助宗が大漁.値段は高騰し借金に首の回らない状態から少し
息の付ける様になる
三っ目はつらい選択
何とか借金も返し漁も順調にと思っていたのも矢先、根室海峡に大きなトロ−ル船が昭和58年頃から姿を現すようになり、年を重ねる内に漁が先細る様になり羅臼の漁業に重く暗い影を落とす。
水揚げは年毎に減り後継者のいない我が家にとって大変悩むことになる。
減船!!!平成7年浜中がこの二文字に揺れた
今やめたらと夫婦で悩んだときもあったが、陸に上がって何が出来る。悩み抜いて続けて見たものの水揚げは落ちるばかり。
遂に苦辛の選択   自主減船
此も時の流れと受け止めなくては成らない
    昭和32年5月熊石町より羅臼町へ転居
    父の手伝いをし夏は昆布採り、秋には手
    掻きの船で烏賊漁に、冬はウニ採りの仕
    事に従事する。
    その後船も少しずつ大きくなりメンメ(キンキ)
    の釣り助宗漁を営む。
    

    
    
漁師の目で見た食材選び
漁業日誌を毎日付けるのが仕事だったが50の
手習いで書を少し、生まれて初めて筆を持つ
菊祭りの感動を菊作りに、
精魂傾けて花との語らいに楽しいひとときを
漁師一筋43年の目でお客さんに喜んで頂ける
食材選びの毎日の一こま
花 作 り
平成12年3月此の侭では食べていかれなく成る。
頑張って漁師を続けていきたいが、借金が増えたら
後継者の無い私達には返す当てが無い。
思い切って自主減船も選択の一つ、此れからの生活
の不安が無いと言うと嘘になるが、夫婦で元気でい
れば食べて行く位は何とか成るだろう。と言うのは
簡単な事だが、今の年齢を考えると商売替えるのは
大変な事だ、女房には苦労を掛けるが、料理好きな
妻に助けられ、何とか頑張ってみたいと思い4月25
日開店の運びになる、少しずつお客さんに恵まれて、
今日まで歩んで来れました。
沢山のお客様に助けられ、見守って頂いた多くの方々
に心より感謝申し上げる次第です。
私たちが元気で商売を続けていける間は、美味しいも
のを食べにいらして下さい。