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半分の握り飯を分けて


「第3かず丸」は流氷帯にはさまれたまま、南東の風雪に激しくあおられて、大きく北へ
流された。北へ流されれば流されるほど羅臼の町から遠ざかっていく。3人は地だんだ踏
んで悔しがったが、どうにもならない。ただ吹雪が通り抜けるの身を縮めて耐えるほか
なかった。


同夜遅く、同町の漁業、菅原勝三郎が遠く沖合い15キロあたりに赤い火を目撃し、漁協に
届け出た。
翌日早朝から捜索を開始する手はずを整えていた漁協は、この情報を重視し、夜明けを
待った。


長い一夜が明けた。きょうから3月に入ったのだが、前夜来の吹雪は少しも収まらず、なおも
吹きまくっていた。自分たちが乗っている船がいまどのあたりにいるかさえ見当もつかないま
まに、子出藤は、
「これでは捜索どころではないだろう」と肩をすぼめた。
軽い気持ちからトランシ−バ−を持ってこなかったことが悔やまれた。腹が空いて仕方がない。
子出藤が残しておいたたった半分の握り飯を、3人でむしり合うようにして食べた。しかしこれ
くらいの量では、どこへ入ったのかもわからない。急に雪がやみ、その切れ目から知床半島が
見えた。


「観音岩の沖合いだっ」
河野が叫んだ。観音岩なら流氷帯さえなければすぐにでも行ける距離だし、僚船に連絡がつけ
ば簡単に助かる。
「トランシ−バ−さえあれば・・・・・・・・」
はそれだけ言って口をつぐんでしまった。河野も幅崎も黙りこくったままだった。
子出藤は出港前日、羅臼海保を訪ねて、鈴木次長と話し合ったことを思い出していた。
鈴木とは普段から知り合いで、良く雑談を交わす中だが、そのとき、遭難したらづどするかと言
う話になった。
鈴木が、「流氷から離れずに、トドやトッカリなどの獲物を獲って食糧にし、
脂肪を油にして暖を取るようにするがいい」といった。トッカリとはアザラシノのことで、地元では
こう呼んでいる。子出藤が、「そうだ、それが一番だ」と答えた。それだけに子出藤の瞼に
「おまえほどのベテランが、食糧も通信機も持たずに出航するとは・・・・・・
」と、怒りを露にする鈴木次長の顔が浮かんだ。


遭難者たちが、きょうは無理だ、と判断したとおり、この朝、羅臼小学校は臨時休校の
措置を取った。
この吹雪では子供たちの通学は無理と教育委員会が判断したのである。
 しかし漁協は、当初の計画どおり、この日早朝から漁船70隻余りを出して捜索を始めた。
何としても「第3かず丸」を捜し出さぬば、という気持ちからだったのはいうまでもない。だが
海上に出ると視界はゼロに近く、捜索船同士が危うく衝突しそうになるなど困難がともなっ
た。この朝、地元の北海道新聞は早々に次の四段見出しで報道した。
 


      流氷にはさまり動けず

              羅臼沖 鳥獣獲船の3人 きょう救援へ




だが記事は、「流氷に閉じ込められ航行不能」「子出藤さんら3人は無事と確認」「1日
朝ヘリコプタ−を飛ばし救助する」と比較的楽観的な見方をしている。
昼ごろ、雪が小やみになったのを見計らって、第一管区海上保安庁函館基地のヘリコ
プタ−が羅臼町まで飛来し、羅臼高校グランドに着陸した。
これで助かると、人々は手放しで喜んだ。


しかし知円別方面は物凄い吹雪が続いており、そこから先は飛ぶ事がで
きない。同本部千歳基地のビ−チクラフト機と、陸上自衛隊第五師団(帯広)のセスナ機
が相次いで羅臼岳上空まで飛来したが、吹雪のため捜索できないままにトンボ返りで引き
返した。
漁船も、何の収穫もないままに午前で捜索を中断し、天候の回復を待って再会すること
になった。
 このころになると各新聞社やテレビ局のカメラマンが現地に入り、慌ただしい空
気に包まれた。
子出藤の妻スワは、小樽市に住む夫の父鶴松(82歳)に電話で連絡を取った。
氷海を自由に駆けめぐる夫だから、遭難したなどと思いたくない。がしかし、も
し最悪の事態に陥ってからでは、なぜ知らせなかった、と責められかねない。
「大丈夫だと思うけど、取りあえずお知らせしておきます」と言い、電話を切った。
羅臼町船見町の志賀謙治は「日記」を克明に付けているが、この日の日記にはこう書か
れている。


子出藤氏外2名、29日トド撃ちのため流氷状況を見るため第3かず丸(2トン)で出かけた。
流氷にはばまれて帰港すること出来ず。3月1日、捜索に入ったが、降雪と知円別方面
吹雪のためへリコプタ−も飛べず。


一菅本部は外務省を通じて、急ぎソ連側にたいして救助方を申し入れた。風と潮流の
具合によっては「第3かず丸」が流氷とともに国後島に押し流される可能性もあると判断
したのである。
国後島は知床半島とほぼ並行した形で横たわっており、この間に延びる根室海峡の最短
距離はわずか28キロしかない。この国後島をはじめ択捉島、色丹島、歯舞諸島の北方
四島はかってわが同胞が暮らしていたのだが、太平洋戦争敗戦直後の混迷期にソ連軍に
襲われ、武力で奪い取られてしまった。以来、わが国は北方領土はわが国古来の領土であ
ると主張し、強く返還を求めてきたが、ソ連は、自国の領土である
と主張して返還せず、国後島などに空軍基地を建設して軍隊を駐屯させている。
さらに領海線を設定して、了解を越えた漁船を片っ端から領海侵犯の容疑で拿捕している。
国境の海はつねに危険と恐怖に晒されており、もし「第3かず丸」が国後島吹き寄せ
られたら捜索もままならなくなるし、そのうえ3人の命も保障できなくなる。この町の人々は、
ソ連が拿捕した日本人を
抑留し、船を没収するなどかなり悪辣な手段をとるのを知っているだけに、最悪の事態にな
らないことを願った。
 

この夜、一時的に弱まったと思った風波がまた激しくなり、午後9時30分、強風波浪注意
報が発令された。「第3かず丸」の3人は、飢えと寒さに晒されながら、ひたすら耐えた。