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羅   臼   の   物  語

生と死をわけた一瞬


 

 
生と死を分けた一瞬は本当に実在した猟師の実話です、この遭難事件は当時は大変なニュ−スで
テレビもラジオも新聞も大きく取り上げられその当時羅臼に嫁ぐなどと夢にも思っておりませんでした
が、羅臼に来る機会が有ったら是非有ってその当時の事を聴いてみたいと常々思っておりました

嫁に来て何時その方にお会いしたいと思っておりましたが結婚式に子出藤一松さんが見えており、
以外にも本間の船に息子の六男君が乗組員の一人として乗っている事が解りました、その後は沢山
の親交を得、人の大きさ豪放な生き方、沢山の思い出ができました、羅臼には沢山の物語が有りま
す。
 機会を見て又色々HP上にご披露申し上げますので、楽しみにご一読戴ければととても光栄です。
この実話は後に「北の国から 遺言」でトド撃ちの猟師の話となった人物ですが
映画はあくまでも、物語ですので御承知おき下さい。


1 す さ ぶ 国 境 の 氷 海


 プ ロ ロ − グ  



 船で海に乗り出したトド(海馬)撃ちの男性三人が、北海道知床半島沖合いで流氷にはさ
まれ動けなくなった。船は流氷と共に押し流され、三人は食料も無いままに飢えと寒さ
にさいなまれるが、遭難から八日目に海豹(アザラシ)を撃って食糧にし、辛うじて生き
長らえた。三人は船を捨てて流氷帯を伝い、知床半島と海峡をへだてた国後島北端のルル
イ岬に上陸した。

国後島は北方領土と呼ばれる島の一つで、太平洋戦争終結後にソ蓮(現在のロシア)に
武力で奪い取られ、以来わが国は、固有の領土なので変換するよう主張し続けてきたが
、いまだに還らず、“異国の島”になったままである。
男たちは無人の建物に入り、迫りくる飢餓と極寒に晒されながら、必死に耐え抜く
そうと知らない知床岬に近い目梨郡羅臼町では大代わりな捜索を続けたが、船影も見
つけることができないままに、遭難したものと判断し、悲しみのなか、三人の合同慰霊祭
を催した。

ところが遭難から11日目にソ連のヘリコプタ−に発見、救助され、無事生還を果たし
たのだった。






第 1 章   遭   難

                     トド船、  出 帆



その日・・・・・・昭和43年(1968)2月29日、朝から冬の白っぽい太陽がまぶ
しい光、海上がきらめいていた。
知床の冬は長く、季節がめぐりくるのはもっと先だが、3月の声が聞かれるようになる
と、さすがに張り詰めた氷の海も緩みだし、流氷が移動し、かすかに春の匂いが感じられ
る。
この流氷に乗ってトド、アザラシ、オットセイなどの海獣が千島方面からやってくる。
怪獣のうち一番やっかいなのがトドで、その数は知床半島の羅臼側だけでざっと1500頭
から2000頭くらい。1頭が1日に食う魚類の量は50キロは下らないというから、軽く10
トンの魚が北の海から消えていく計算になる。だから人々はトドを漁業の敵と睨んで“海
のギャング”と呼んでいる。

「この天気なら申し分ないな。どうだ、海の様子でも見てくるべか」
北海道目梨郡羅臼町岬町モセカルベツの猟師、子出藤一松(59歳)が、自宅裏の浜
辺に寄せた薄い流氷を割りながら、同じ町の猟師仲間、河野忠男(37歳)と幅崎貞義
(29歳)の二人に言った。
子出藤はこの町に住む名うての猟師で、魚場に現れるトド、アザラシを撃ち続けるこ
の道20年のベテラン。船も所有しているせ船主兼船長である。羅臼のトド撃ちは23人
いるが、彼はその先駆的存在で、早くから北海道庁に働きかけて、助成金をもとにトド
退治をしてきた。夏場にミンク、飼育しているのは、トドの餌にするものだ。そんなことで
羅臼漁業組合も1頭仕留めると褒賞金1500円をを出すなど奨励しているが、そう簡
単な相手ではない。
ところが子出藤は、
「トドが海上に3秒間浮いていたら、必ず仕留める自信がある」
というほどの腕ききで、これまで仕留めた数は2000頭にものぼる。だからこの町で「ト
ド撃ちの子出藤」と言えば誰も知らぬ者はない。何度かテレビ出演しているほどの“有名
人”なのだ。
仲間の河野は、トド撃ちの機関だけ機関長として船に乗り込む。幅崎は子出藤宅に妻子
ともども同居していて、秋はイカ釣り船に乗り、この時期になると猟師として働くのである。
トド撃ちはいつも3人1組で出かけており、今年も近々船を出すことにしていた。
沖合いにスケソウダラ獲りの漁船がたくさん出漁している。絶好の漁獲日和といえた。

「行ってみるか」
「よし、行こう」
子出藤の言葉に河野と幅崎は二つ返事で応えると、早速、子出藤宅裏手の浜に回り、
浜に引き上げている「第3かず丸」(2トン)を海面に引き下ろしてから、空の燃料タン
クに100リットルほどの油を注いだ。

この船は、昨年造ったばかりの新造船で、長さ3間半(約6.4メ−トル)、幅は中央
部の一番広いところで1間半(約2.7メ−トル)船体のやや後方に機関室と操舵室が
ついている。敏捷で小回りがきくのでトド打ちには持ってこいの大きさである。
だが今日は船を出して水路を開き、魚場の様子を見る程度なので、誰もが軽い気持ち
でいた、だからトランシ−バ-も携帯ラジオももっていない。

それでも子出藤いつトドが現れてもいいよう、ライフル2丁と弾丸20発、散弾銃
1丁と弾丸10発ほどを船に積み込んだ。まだ寒気が厳しいので、シュ−バと呼ばれる外套
を二枚持った。
子出藤の妻、スワ(52歳)が大きめの握り飯を三つ、紙にくるんで渡した。何事が起
こるかしれないという猟師の妻らしい配慮である。

朝9時ごろ、「第三かず丸」はポン、ポン、ポンと軽快なエンジン音を響かせながら、
氷を押して開いて進んだ、岬町の港は知円別港と言い、以前の地名をそのまま使っている。

子出藤宅のあるモセカルベツからは1キロメ−トルぐらいの距離だ。
船は海岸線を離れて知円別の沖合いへ向けて北上した。進むたびに緩んだ流氷が左右に広
がり、容易に水路が開けた。

「せっかく船を入れたんだから、ギャングの様子でも見てみるべか」
 子出藤が言い出した。二人には異論のあろうはずもない。船はさらに沖合いに出た。6キロ
ほど進むとルサ川の河口沖2マイル半の海域に至った。
 この河口を吹き抜ける風を地元の人たちは“ルシャモン”と呼んで恐ろしがる。知床連
山を伝わってこのルサの山間に入った風が、太い帯となって海側に吹き抜けるのである。
 この日はそうした風もないのだが、氷が硬く締って船の行動を阻むのは、やはり寒気
の影響と思えた。

「きょうはここまでだな」
 と子出藤は、河野と幅崎の顔を見ながら言い、薄氷を割って船首を知床半島の岬に向け直
した。と、その瞬間、エンジンガ奇妙な音を立てて止まった。
機関に何か異物でも詰まったらしい。
その時になって子出藤は初めてトランシ−バ−を持ってこないことを悔いた。

すぐ近くの沖合いに漁船が3隻、海岸側に10数隻の漁船が操業していた。
子出藤は幅崎に向かい、「飯でもくって待ってろや」
と言って握り飯を渡してから、河野と二人がかりで船の機関を解体し、部品をガソ
リンで洗い直した。

幅崎は握り飯を食べながら機関が修復するのを待っていた。3人とも時計を持っていな
かったが、もう午後1時ごろになるのは察しが付いた。これぐらいは長い経験から腹時計
がちゃんと知らせてくれる。
晴れているといっても知床の冬はまだまだ厳しい。寒気があたりを覆い尽くし、じっ
としていると体が凍えてくる。と、どうしたことか急に沖合いの薄氷が岸辺に向かって流れ
始めた。
「親父さん、急げ矢」幅崎が、いつも子出藤を呼ぶ言葉を使って
訴えた。
薄氷といえども船にへばりつかれた
ら面倒になる。

「うん、もう少しだ」
子出藤は返事をしながら、なおも修理を続けた。
 この日子出藤の長男で中学校2年の六男
(14歳)は、学校うが休みだったので友人、
と一緒に知円別の裏手に当るモセカルベツの
山でスキ−遊びをしていた。子出藤夫妻の
間には子供ができず、六男は幼いころ同家の
養子になった。六男にとっては父は、男らしくて
、頼もしく、偉大な存在と言えた。眼下に
青い海が広がり、漁船がたくさん操業していて、その向こうに流氷帯が望まれた。
「父さんの船どこかな」
六男がそう思って海上を探した。だが、何処に居るか確認できなかった。
そのころ「第3かず」丸ようやく解体した機関を組み直して、試験運転に取りかかろう
としていた。子出藤がおもむろにエンジンをかけると、ポン、ポン、ポンと軽快な音が響
き渡った。
「うん、これでいい」
子出藤が笑顔で言ったので、2人ともほっと安堵の表情を浮かべた。

船が動きだした。ところが流氷がいつしか船の周囲にまとわりついて、前進しょうとす
るのを阻んだ。それどころか流氷帯は少しずつ知床岬の突端に向けて押しだされました。
「夕方になったら引き潮になる。そしたら流氷がはずれる。それまで待つべ」
と子出藤は言い、紙に包んだ握り飯を取り出し、幅崎に渡してから自分も食べた。大き
かったので半分は夕食用にと残した。

子出藤これまで何回も危うい目に合っている。去年(昭和42年)3月27日に
も船が流氷にはさまれて動けなくなり、船を捨てて3日後に危うく知床半島の番屋に逃げ
込んだが、この間、巡視船出動する騒ぎになった。
ふいにあの時のことが甦った。
漁業協同組合の規則にしたがわぬばなるまい。

子出藤は船に積んであった筵を広げて高さ5メ−トルほどの棒に縛りつけて船首に立て
た。其れから河野をうながしてゴムボ−トに空気を吹き込み膨らませた。
ここから海岸までは3キロ少しだから、ボ−トに乗り移ったらすぐにでも知床半島の番屋
まで行く事が出来る。
だが新造船を捨てるのがいかにも惜しかった。
「なぁに、心配はいらない」
と子出藤は別に力むこともなく言った。実際にそんな気持ちだった。潮さえ変われば簡
単に流氷帯から脱出して寄港できる、と考えていた
快晴の空がまばゆく揺れて見えた。
遭難などこれっぽちも考えていなかった。だが、これが恐るべき道程への第一歩とな
っていく。