ハ ン タ − の 死


春日町で当時ミンクの飼育をしていた高島喜作さん(当時五八歳)奥さんと息子の牧美さん(当時二八才)
夫婦の四人で三千匹余のミンクを飼育していた。高島さんは、若い頃から山歩きが好きで、クマやキツネな
どの狩りを楽しんでいた。いままで百頭近くクマを仕止めているベテランハンターである。
昭和五十五年(一九八〇)十月末頃のこと、ミンクの食べ残した餌の捨て場に、何か動く物を牧美さんが見
つけた。はじめはキツネかと思ったが毛並みが違うようだ。そのときミンクが一斉に_キィー、キィー_とさわぎ出し
たので、窓ごしによく見るとクマの大きな顔だった。人間の気配を察知したクマは口いっぱいに餌をほうばって
山の方に姿を消した。牧美さんは自宅に戻って父喜作さんにクマの出たことを告げ、すぐにでも撃ちとることを
すすめたが高島さんは重い腰を上げようとはしなかった。それは高島さんが餌のあるところを知っているクマは、
明日も必ず現れることに確信を持っていたからだ。発砲、手応えはあったが手負に翌日、高島さんはクマは必ず
餌場にくると確信していた。ここらあたりの感はさすがベテラン、時間を見計らってミンク小屋に銃を持って張り込む。
高島さんは愛用のライフル、牧美さんは普通の銃だ。山の奥では時々_ウォー、ウォー_とうなり声が聞こえてくる。
待つことしばし、笹がかすかにゆれた。笹のゆれは餌場に近づいてくる。クマはあたりの様子をうかがって用心深く
時々頭を上げる。
二人は息をころして銃をかまえてチャンスを待つ。クマはそれとは知らず
グッと身を乗り出した。「いまだッー」_ダーン_高島さんの銃口は火を吐く。手ごたえは十分、クマの胸に当たったようだ。
一瞬クマはグラッとよろめいたが、山の方に向きを変えて逃げ出した。それに向かって高島さんは二発目を撃った。
クマは右に左によろめくようにして逃げる。一頭だと思っていたら仔グマが顔を出して、親グマの周辺を走り回った。
今度は仔グマを狙いダーン仔グマはその場に倒れた。仔グマにとどめの一発を撃って二人はミンク小屋に戻り、
これから作戦をねる。
親グマは、かなりの負傷をしているのでそう遠くには逃げられないだろう。あるいは途中で死んでいるかも知れない。
手負のクマは必ず仕止めることがハンターの鉄則だ。とかく凶暴になって人を襲ったり家畜に害を与えるからだ。
手負クマは、撃った高島さんを狙って逆襲死んでいると思うが、とにかく血痕をたどって追撃することにした。
牧美さんを先頭に背丈もある笹をかき分けて血痕の跡を追う。ジグザグに逃げているのでときどき血痕を失う。高島さんは銃を
横にして笹を倒すように前かがみに歩く。最初撃った地点から三十メートルも山に入っただろうか、右前方からウォーと
腹の底に響くうなり声とともに、クマは大きな口をあけて高島さんめがけて飛びかかってきた。全く一瞬のことで体をかわす
ひまもなかった。
不覚をとった高島さんは「アッー」と大声を発して銃でうけた。仔グマも撃たれた手負クマは気が高ぶり怒り狂っていた。
クマは高島さんの左手首にかみつき、おおいかぶさるようにして首をふり回す。腕は感覚を失い、つけ根までしびれてきた。
クマのうなり声と、高島さんの声を同時にきいた牧美さんはふり向くやいなや、無我夢中でかけつける。クマの下から
「牧美、早く撃て、早く」と叫ぶ。手負クマはますます荒れ狂う。牧美さんの銃には一発より弾は入っていない。下手に撃つと
高島さんに当たらぬとも限らない。ちゅちょ鳥「早く撃て!」と必死に叫ぶ高島さん。クマのわき腹に銃口をつけて引き金を引いたが発砲しない。
あわてていたので安全装置をかけたままだった。
「撃った」それでもクマはひるまない。牧美さんは咄嗟にクマに馬乗りになって耳を両手で力いっぱい引っぱった。
クマはすこしずつ弱ってきて高島さんの手首を離した。牧美さんはそのまま耳をひっぱってクマの鼻先を土にこすりつけて
「父さん早く逃げれ」とどなる。高島さんはクマの下になっていて身動きがとれない。
ようやく抜け出すと牧美さんは「早くトドメを撃て」
と言うがライフルはクマの下敷きだ。
しかも高島さんの左腕はダランとしたまま、
手首からは血がしたたり落ちている。
手首の骨がくだけたのだ。ようやく銃をとり右の片手で銃をかまえてようやく
トドメの一発、クマはその場にドスンとにぶい音と共に息絶えた。
この間は僅か二分〜三分くらいの出来事だったが、
実に長い時間だったと高島さんは語っていた。事の次第を知った奥さんたちは、
腰が抜けるほど驚き、すぐ羅臼町立病院に運ばれ全治三ヶ月の入院加療であった。
高島さんはハンターとして長年のキャリアがあるだけに「不覚をとったことが恥ずかしく、
とても話せるものではない」と苦笑していた。クマはメス五才の銀毛で二百キログラム、
仔グマはオス二才で五十キログラムだった。
昭和六十年(一九八五)四月二十三日早朝、春日町の高島喜作さんが、
クマに襲われて死体となって発見されたとの連絡が入った。高島さんと言えばハンター歴三十年、
その間仕止めたクマは百頭余に及ぶ大ベテラン、「あの高島さんが」とだれも信じられない面持ちだった。
高島さんは前述したとおり五年前の昭和五十五年(一九八〇)十月、クマと格闘して、
九死に一生を得た体験者で、そのとき「ハンターとして、クマを射殺せず手負にしたクマと格闘して、
負傷したことは世間と仲間に対して、恥ずかしいことだ。」と言っていた。
百頭におよぶクマを仕止めた実績は、ハンターとしては大きな自信であったからこそ、
そんな言葉が出ても不思議ではないのだ。親仔グマ出没情報に胸躍らせる四月もなかばをすぎると、
クマも冬眠から目覚めて出始める時期だ、高島さんは、いつでも出動できるように準備を整え、
愛用の銃の手入れに余念はない。四月二十一日夜、ハンター仲間から高島さんに電話で、
「海岸町の丸倉の沢あたりにクマが出没しているらしい」との知らせがあった。
丸倉の沢やチトライの沢は、冬眠から覚めたクマにとって絶好のねぐらだ。
雪解けも早く食べ物も豊富にあるためだ。高島さんはそうした事情や、
その付近の地形を手にとるように把握している。翌二十二日、ライフル銃の点検、弾帯の確認をし、
なぜか気持に興奮を覚えるのを鎮めて、リックサックにオニギリ、乾パンを詰め、
アメをポケットに入れてスキーのストック一本もって、午前八時すぎ車で出かけた。
行きがけに昨夜電話をくれた仲間に立ち寄り「それでは行ってくるから」と声をかけて元気に出かけた。
夜になっても帰らず、不吉な予感が、高島さんの足取りは、
海岸町の隧道を通ってすぐの道路沿いに車を止め、愛用のライフル銃を左肩から背にかけ、
二十五発入れの弾帯を腰に巻き、ストックを杖代わりにして隧道の上にある羅臼灯台を建設したときの
旧道を登り、そこから迂回して丸倉の沢に出たことが想像できる。ベテランともなれば
いきなりクマのいる沢に直接は入らず、遠回りして慎重に潜行するのだ。午前十時すぎ
丸倉の沢の奥の方で銃声が二発きこえたと周辺の人は言っている。高島喜作さんだがその日、
日が暮れても高島さんは戻らなかった。高島さんの奥さんはいま帰えってくるかと窓から
道路の方を見つめてひたすら帰りを待つ。午後六時〜午後七時になっても姿は見えない。
町外に出かけていた牧美さんが帰宅したので、経過を話し、午後八時頃警察や猟友会に連絡、
午後九時すぎ仲間と猟友会の人たち十人で現場の捜索にあたるも、折悪くその夜は雨、
暗闇の中で声を大にして叫べと応答なし。
その夜は何んの手掛かりもないまま、午後十一時やむなく打ち切り、
明朝午前四時から丸倉の沢と、その周辺一帯を手分けして捜索することにした。
翌二十三日、丸倉の沢を海岸から約五〜六百メートル入ったところの残雪の上に
クマの足跡と長グツの足跡を発見した。クマの足跡は親仔グマのほかに、
オスグマらしい大きな足跡が鮮明に印されていたので、三頭いたことが判明する。
丸倉の沢は残雪も多く両側は岩が切り立って見通しは悪く死角になっている。
雪の下は沢水が流れていて、ところどころが洞穴となっている。その周辺は、
クマの足跡と長靴の跡が入り乱れ、残雪は鮮血に染められ、血痕は方々に散らばっていた。
その血の匂はけだもの独特の匂からクマのものとわかる。捜索していた仲間は、
直感的に「高島さんは、クマを手負にして追跡の途中にクマに襲われたのではないか」と思った。
周囲をくまなく探すと、ライフル銃のスコープケース(眼鏡のフタ)とタバコを見つけ、
それより少し離れた所にストックが倒れてあった。そのそばに雪の洞穴がありその
下に雪解けの沢水が音を立てて流れている。 中をのぞくと、かすかな光の中に弾帯の薬きょうが
反射した雪解け水のつめたいせせらぎの中に、高島さんは倒れていたのだった。頭部や顔には
クマの爪で引っかかれたような傷と、手首や腕にかみつかれた跡があり、いかに凄絶な闘いで
あったかを物語っている。ライフル銃は高島さんの倒れていた少し上の方にあった。
二十五発の弾帯には
二十発が残っていて、ライフル銃には三発の残弾があったので、二発を発砲していたことがわかる。
ベテランハンター、しかもクマ撃ちの名人と言われた高島さんのあまりにも無惨な姿に、
捜索のハンター仲間は目頭をこぶしでぬぐい、深い悲しみが強い憤りに変わっていった。
手負のオスグマが逆襲、瀕死のメスグマが手負グマは射殺することがハンターの鉄則で
、そのまま放置すると再び人間や家畜を襲う可能性があるからだ。
高島さんを襲った手負グマを追撃するために二十三日午前十時頃
、地元猟友会の人たち十五人と標津町、
中標津町からの応援を得て紀州犬とアイヌ犬の二頭の猟犬を加え、
綿密な計画を樹てて四班に
分かれて行動を開始した。丸倉の沢五百メートルくらいのところに行くと、残雪の上に
メスグマと二歳くらいの仔グマの足跡が散見され、その中に大きな足跡が残っている。
クマは笹の茂みから左の方に回った形跡が見られる。途中でクマは行きつ戻りつの足跡を残し、
そこから足跡は消えている。この状態を専門家は「クマの止め足」と言っている。
逃走の途中に、ある場所に足跡を右や左に意識的につけて、笹の茂みや
岩石の上に一気に飛んで行方をくらますのだ。
ベテランハンターは、クマの習性を熟知しているので、
そうやすやすとクマの行動にはだまされない。
執ように足跡をたどる。見通しの悪い岩場にするどい爪痕を残し、
そこから飛ぶように三歩の足跡が残されていた。
その後オスグマは二股になっている右側の方向に足跡を残して、
山中深く逃走したようだ。高島さんに銃撃された直後の足跡は小幅であったが、
この付近では普通の幅になっているところから見て、
傷口はかなり快復しているようだ。この日も天候は悪く、
山中深くなるほど霧が濃くなって視界は悪い。
やむなく二股を下山して午後三時にもとの現場にたどり着く。
そのとき、二匹の猟犬が急にほえだした。
このほえかたはただごとではない。ハンターたちに一瞬緊張が走る。
二匹の猟犬は小高い山に向かって駆け出す。
若いハンターがその後に続く、「もしや手負グマではないか!」
直感的に脳裏をかすめる。用心深く犬の方向と反対の小山に駆け登る。
銃の安全装置をはずして身構えるやいなや、けたたましくほえる猟犬の
前にウォー_とクマは立ち上がった。その瞬間ハンターの
銃が火を噴く。続けてもう一発、二〇番スラダ弾二発が打ち込まれるやクマは
その場にくずれるように倒れた。一瞬のことだった。
この場所から高島さんの倒れていたところまで約七十メートルより離れていなかった。
このクマは十歳くらいのメスグマで高島さんのライフルの銃弾が腹部を貫通していた。
高島さんは、最初メスグマを発見、それを撃った。メスグマはその場に倒れ、
動く気配のないこと確認するやオスグマを発見。その付近からオスグマに発砲、
手負になって逃走したので追撃したのではと推測される。メスグマは心臓から外れていたので
即死には至らなかったが、出血多量で瀕死の状態となって身動き出来なかった。
仔グマの姿は見当たらなかった。
*羅臼町100年史より転載